「演説」

 福沢諭吉は、英書を読んでおりまして、
 はったと困ったことがありました。←、その場面に私が居合わせたということでは、ありません。福沢諭吉から、そのことを聞かされたということでもありません。以下、受け売りの知識です。
 


 それは、speach という単語に、出っくわしたからです。
 さて、どういう意味か、
 何と訳したら、良いモノか。

 考えあぐねて、「演説」と訳しました。
 そのためには、わざわざ「演説」という訳語を造語しなければなりませんでした。
 ということは、その当時、この国には、「演説」ということ自体が、なかったということでした。

 福沢諭吉の家は、御宗旨は、真宗であったかと思います・・・・・あっ、そうではなく、近所に、真宗の寺があったのか。

 そこで、門徒を集めて僧侶が、法話をやっている。
(あぁ、あれかな・・・・・? )と。