2009-01-01から1ヶ月間の記事一覧
ラボラトリー体験学習では、 先生から学ぶのではなく、 グループから学びます。 グループのメンバーが互いに学び合います。 そのための状況を整えるのが、ファシリテーターの役割です。
考えることは、問うことから始まります。 そして、 問わない人は、考えません。 先生に、教わればよいのです。そして、先生の答えたこと、先生の教えこそが、正解なのです。(戦前の小学校・中学校の国史の授業では、日本の歴史の三大改革は、大化の改新・建…
“考える”ということが、テーマでした。 ラボラトリー体験学習は、 “覚える”学習ではなく、 “考える”学習であると。 いろんな人の言葉を引き合いにだしましたが、ね。 1月の9日、10日あたりに、 話題の流れをもどそうと思います。
パズルを原型とした課題解決実習は、正解が一つというきらいがあります。 正解が一つだと、すっきりと課題解決に至ったばあいは、 それこそ、グループのメンバーは、スッキリとした気持ちになれます。 ファシリテーターから正解が示されるまえに、 グループ…
正解は一つ、 解答は、解けそうな問題から手をつけろ。←これが、学校の常識です。 この“常識”だけをもって、そのまま社会に出ますと・・・・・・ 答えは一つだけと、思いこみます。 そして、 答えが出そうな問題にしか、取り組まなくなります。 リスクがとも…
試験問題には、必ず、一つの正解があります。 それが、入学試験のルールなのです。 だから、正解のある問題しか出ません。 でも、 現実の社会においては、答えが一つとは、限りません。 試験問題は、全部に解答しなくてもかまいません。 まずは、解答にあた…
私に、癖(へき)があります。 私の場合は、自信のないときには、大きな声で言い、 自信のあることについては、 小さな声で、・・・・・・言いますね。 ・・・そういえば、 ・・・・(静かなる細き声)っていう言葉がありましたっけ。
きっぱりと、断定的に述べてある部分と、 遠慮がちに、述べている部分とが、ありました。 私は、 ・・・・・・この遠慮がちに述べていることのほうに、 この人の“真意”があったんだろうという、 そういう印象を抱きました。
自分の学問遍歴を述べて、 そして、 まるで、後生に遺書を託すがごとく、という書き方をしていました。 自分の健康には、ずいぶんと気遣う人でした。 当時としては、大変な長命でした。 でも、長年つれそった妻・東軒を喪い、 これを書き終えて、 亡くなられ…
晩年の著作なのだそうです。 最後の著作だとのことです。 こんなことが書かれていました。「学んでのち、疑いがあり、 疑ってのち、問いがあり、 問うてのち、考えがあり、 考えてのち、得る所あり。」 そして、 学問の道は、かくあるべきだ、と。
森岡○博という哲学者が、 「哲学者になるには、どうすればいいんですか?」という 女子中学生のからの問いに答えて・・・・・・ ・・・・・哲学というのは、 あらゆる価値観から解放されて、自由にものごとを突き詰めて考えること、 と、回答していました。 …
私は、中学校の社会科の授業で、 西洋の歴史を教わりました。 教科書に「哲学は神学のハシタメ」と書かれていて、 それが、何のことかは、分かりませんでした。 神学って、何のことか、分かりませんでした。 ハシタメっていう言葉の意味は、これは、分かりま…
ファンダメンタリズムって、 原理主義って、訳すようですね。 私が、学生時代には、訳語が定着しないままに、・・・・・根本主義ナンテ訳していました。 私の知人に、ファンダメンタリストがいます。 この人は、文字通りの“ファンダメンタリスト”です。 毎日…
でも、 私が読んだ本には、その人は、 「神の存在を、私は疑いました。」とは、あからさまには、書いていないですね。 そんなことを書いてしまったら、ぐあいの悪いことが、あったんだろうなぁー。 だから、当時の“常識”と、折り合いをつけながら、 用心深く…
考えることは、問うことから始まります。 問うことは、疑うことから、始まります。 受験勉強では、疑う必要は、ありません。そんなこと、無用なことどころか、余計なことなんです。 でも、 こんなこと、今に始まったことではありません。 昔だって、そうでし…
入試問題は、定説から作られます。 学界でも、少数派の異端の学説からは、出題されません。 ですから、 受験生は、定説を暗記すれば良いのです。 だから、受験教育は、暗記モノとなります。 定説を疑うナンテ、無用のことです。 ですから、 中学生・高校生は…
その学生は、正解があると思っているのです。 だって、そうでしょう、 今まで、ずっと、そのように教わってきたんですから。 入学試験問題には、正解があります。 しかも、 たった一つの正解だけが。 もしも、正解が二つあったら、それは、出題ミスです。 新…
授業で、こういう話をしますと・・・・・ これについてはねーっ、 A説あり、B説あり、でも、C説もあるんだよ、という話をしますと、 学生の中には、落ち着かない気持ちになる方もいます。「それで、先生、 どれが、正解なんですか?」 私としては、 ・・…
シラバスには、こう書いておきます。 教科書は、使いません、と。 ですから、 私の授業には、脱線も余談も、有りませんと。 教科書の有る授業で、 教師が、教科書に書いてないこと、あるいは、教科書に関係ないことをしゃべったら、それは、脱線なのです。余…
戸惑っている学生達の表情が、私には、見えます。 そして、戸惑わない学生もいます。 実に、キッパリとした態度で、・・・・・これはもぅ、「実にキッパリとした」としか、言いようがないんですが、 とたんに、聞かなく、なります。 そういう学生の心の中に…
「先生の授業は、何が大事なのか、分かりません。」 というクレームがつきます。 もっと、・・・・・・穏やかなといいますか、へりくだった言い方を選ぶならば、 「ノートの取り方が、わかりません。」なのです。 これは、 つまり、 (何が、試験問題に出そ…
私たちは、相手のしゃべっていることを、選択しながら、聞いています。あるいは、四捨五入しながら、聞いてます。 吸い取り紙が、インクの水茎の跡を吸い取るようにして聞いているわけでは、ありません。 こちらの、認知の枠組みをフィルターのようにして、…
考える、 ということは、問うことから始まります。 ですから、 問わない人は、考えません。 問題意識の希薄な人は、問いませんね。何ごとに対しても「特になし」ナンテ言っている人は、考えません。 分からないことがあれば、先生に質問すれば良いのです。そ…
私は、・・・・・・ 違うんじゃないのかなぁーって思いました。 その「問題」を作るのは、誰なのか? 出来合いの問題を課すんでしょうか。それとも、その先生が、その問題を作るのでしょうか? そして、 その問題には、必ず、一つの正解というものがあって、…
普通の講義形式の授業では、 生徒や学生は、教わったことを覚えればよいのです。 では、「考える」ということは、必要なのでしょうか? 私は、 小学校のベテラン先生に、お尋ねしたことがあります。 「小学校では、子供たちに、“考える”というトレーニングを…
普通の講義形式の授業と、ラボラトリー体験学習とを対照すれば、 これは、 私が、いつも書いている図票と、なります。 覚える 考える 教わる 気づく 答える 問う 質疑応答 対話 先生vs生徒 先生vs先生 聞く 聴く 見る 視る 競争 協働 個人 集団 先生 ファシ…
ラボラトリー体験学習は、 先生から学ぶのではなく、 グループから、学びます。 ← この点が、普通の授業での勉強のしかたと違うところなのです。 普通の授業ってのは、先生がいて、生徒がいます。 先生が生徒に教え、生徒は、先生から教わります。 これは、…
ラボラトリー体験学習では、 “グループ実習”というのを行います。←グループ・イクササイズの訳、です。 6人ぐらいのグループを作って、そのグループ活動の中で起きる様々な出来事から学んでいこうというのが、ラボラトリー体験学習です。 グループって、集団…
“ラボラトリー”って、直訳すれば、“実験室”ということです。 その意味するところは、 「条件が、人工的にコントロールされている場」ということでしょう。
私は、 “体験学習”とのみ、言いならわしてきました。 でも、近年にいたって、 “ラボラトリー方式による”という言葉を、冠するようになりました。 それは、 他の領域でも、ひんぱんに“体験学習”という言葉が、使われるようになってきたからです。 例えば、 陶…