2008-04-01から1ヶ月間の記事一覧

慍、という文字は、『論語』の別な場所にも、登場していたと思います。 孔子が門人たちを引き連れて、諸国遊説の旅にでます。 「遊説」って、自分を政治コンサルタントとして売り込みに行ったということです。 要するに、会社訪問です。 就活です。 でも、内…

至福の時間

この渡辺悦郎先生の漢文の授業は、 私にとって、至福のひとときでした。 私は、この先生の言葉を貪るように聞き、 授業時間が、あっというまに終わってしまうことを惜しんでおりました。 生徒たちを番号順に指名して、 白文を読ませるのですが、 ある生徒の…

慍 ← なんと訓むのか

「人、知らずして、いきどおらず」と読んだり「人、知らずして、うらみず」と、読むのが、慣わしになっております。 私は、高校一年のときの漢文の授業で、 渡辺悦郎先生から、「“慍”は、 湿や、温という文字があるが、 温泉に行くと、蒸気が立ちこめていて…

「人、知らずして、・・・」

次、というのは、 「人、知らずして、ムッとせず」という章句です。 世間の人々が、自分の真価を知らなくても、ムッとしない。 そういう人こそ、君子だよと。「朋が訪ねてきた」という喜びを語ったあとに、 「自分が、正当に評価されなくても・・・・」とい…

「朋の遠くより・・・・」

「朋の遠くより、いままさに来る、また、楽しからずや」 これって、どういうことですかね。 孔子の家塾の門前は、殷賑をきわめていたんですかね。 千客万来だったんですかね。 ちがうんじゃないのかなぁー。「今日もまた、誰も訪なう人とてなし」で、さびさ…

説しからずや?

なんで、説しからずや、で 「たのしからずや」なんですかね。 説という文字は、「悦」に通じる。 だから「たのしからずや」なんだと。 これって、私には、強弁に思えます。 平安時代の写本には、 この部分に「悦」という文字を使っている文献もありましたが…

ロール・プレイング

えぇ、 礼と楽をロールプレイングで、学習していたんです。 典礼学、ですね。 儀典の作法と、 BGM ・・・・・・・・バックグランド・ミュージックでした。 それを教わったとおりに、自分でもやってみる。 「身分秩序にかなった挙措動作で、しずしずと、お…

「習う」って、

習という漢字は、 羽という字が入っています。 ひな鳥が、飛び立つ前に、まだ小さな稚い、両の翼を何度も何度も繰り返し、上下し続けています。 習の原義は「くりかえす」です。 昔の日本人は、この漢字に「ならう」の訓みをあてました。 お手本通りに繰り返…

話題が「読む」に及んでおります。

この「体験学習プログ」が、 話題が、「読む」に行ってしまいました。 かくも、 転々とする、話題ですが、 聞く → 聴く 見る → 視る そして、 読むは、 何が書いてないのか読み込む、『論語』の冒頭の部分は、 「学びて、時に、これを習う」ですが、 何を学…

龍馬昇天の場面は、

龍馬昇天の場面は、 『福音書』に描かれたイエス昇天の場面と、 そっくりです。

4月26日は、新作実習の試行です。

4月26日は、学生たちに集まっていただいて、 新作オリジナル実習の試行です。『ペンションを探そう』 『研修所を探そう』 『出店計画会議』の三つを試行していただこうと思っております。 実験会場は、学内の某所ですが・・・・ そう、 新校舎の、会議室を予…

梅ヶ丘・新キャンパス開設祝いの体験学習

梅ヶ丘・新キャンパス開設、にこと寄せての 体験学習・グループ実習の集いは、 予定通り、五月十日です。 会場は、 しかし、新キャンパスに於いてではなく、 いつも通りに、 柴田会館三階の大会議室です。 すでに、総務課の窓口で、 「旧・塩谷ゼミ同窓会」…

墓碑銘の文学

司馬遼太郎の文学は、 墓碑銘の文学、ですね。 この人は、歴史の変動期に生きた、男たちの境涯を描いて、 そして、 必ず、そのラストシーンに、 その男たちの死に際を克明に描いています。 まるで、 その死に立ち会ったがごとくに。 もしも、この人が、孔子…

四聖といえば、

四聖といえば、 これは、誰が言い出したことかは知りませんが、 釈迦・孔子・ソクラテス・イエス のことです。 4人のうち、3人がアジア人です。 そして、これら4人のうち、3人が、死に際について、書かれています。 イエスの死に際は、『新約聖書』に収めら…

孔子の、お葬式

『論語』は、 孔子の没後に、お弟子さんたちによって、編纂されたと・・・・ ← と、このように言われております。 なにしろ、この本には、現代でいうところの「奥付」がありません。 序文もなければ、 編者後書き、ナンテのも、付されていません。 没後、ま…

何が書かれて、いないのか。

えぇ、ですから、「読む」ときには、 「何が書かれてはいないのか」を読み取らねばならないのでしょう。 『歎異抄』という書物には、 著者の名前が・・・・・著者ではなく、編者なのかもしれません。 編者の前が、書き記されていないのです。 書き忘れた、と…

「読む」についても・・・・・・

聞く → 聴く 見る → 視る ならば、 「読む」についても、同様のことが言えると思います。 読むとき、 文字面をおっていけば、何が書いてあるのかを読み取ることは、出来ましょう。 でも、 「何が書いていないのか」を読み取らなければならないのだろうと思い…

「言よりも、動」でしょうが・・・・

その人が、何を言ったのか、 ということよりも、 その人が、実際に何をしたのか、をみるべきだと言われております。 そうですね。そういうことでありましょう。 でも、 私は、 「その人が、何を話題には、しないのか。 どういう行動をとらないのか、」 にこ…

プレスタイムでは、

見る・・・・に代えて、 観る、としています。 私としては、プレスタイムとのあいだに整合性をつけたかったんですが、 でも、 見る → 視る としました。 これは、『論語』に、「孔子曰く・・・← はい、孔子曰くなんです。 子曰くでは、ないんです。 孔子曰く…

見る → 視る。

見る、を 視る、としました。 相手が、何をしているのかは、目をこらせば、見える。 しかし、 その相手が、何をしていないのかは、漫然と見ているだけでは、見えてこない。 その「相手が何をしていないのか」を視て取る。←これが、大事。

見る → 視る。

『ファシリテーター塩谷の体験学習・講義編』では、 一斉聖講義方式(概念学習)と、 ラボ方式による体験学習での学びを対比させて、 見る → 視る としました。

聴くと、聞く

私は、ロジャースの「積極的傾聴法」をネタに、授業をやっておりますが、 私自身は、 聞くと聴くの違いについては、「相手が、何を言っているのかは、 耳を傾ければ、聞こえてくる。 しかし、 相手が、何を言わなかったのか、 何を話題には、しなかったのか…

聴くをテーマに。

私は、一般教養科目の社会学の授業では、 4月に授業を始めて、 秋も深まってきた12月ころになって、 「聴く」をテーマに学生の皆さんにむかって、お話しますが、 その授業のネタは、 このロジャースの「積極的傾聴」です。 ・・・・・・私自身は、オシャベリ…

積極的傾聴法

この積極的傾聴法のことは、 翻訳が、 『ロジャース全集』岩崎学術出版社 に、出ていますね。 日本産業訓練協会で、これをトレーニングに使っていました。 産能短大でも・・・・今は産能大学ですが、教材にしていました。 積極的傾聴ってのは、 ロジャースが…

ふたたび「聞く と 聴く」

漢和辞典には、どう記されているんだろうか、 ということは、さておき、 聞くと聴くの違いは、 一般には・・・・・ と、言いますか、 社員教育の場では、 聞くは、漫然と聞いているだけ。聞こえている。 聴くは、しかるべく注意を払って、聞き入ること。 聞…

民の声は、神の声。

聽 という漢字は、 「王様が、直き心をもって、人民の訴えに耳を傾ける」というのは、 どうやら、 私の勝手な解釈だったようです。 まぁ、なんといいますか、 要するに、「付会」であります。 でも、 「民の声は、神の声」という言葉もありますから、 こうい…

聽 と、 聖

この聖に、徳の旁をあてて、 それで、 「聽」という字が、できたのだそうです。 挺立する人の上に、大きな耳を加えて、耳の聡明なことを示し、 神に祈り、神の声を聞き得ること、←というのが、白川静の説明です。 挺立、というのは、まっすぐに、抜きん出て…

聽 と、 聖

聽と聖は、 どちらにも、「耳」があります。 そして、 「聖」は、耳と口、なのですが、 じつは、 「口」では、ないんだそうです。 これは、 「祝祷を収める器」だそうです。 祭器、なんですね。 そして、 王ではなく、壬で、 壬は、人の挺立するカタチ、なん…

犬と、猫のちがい。

生物学者に、「犬と猫は、どう違うのか?」って、質問すると、 「猫と犬が分かれたのは、 白亜紀で(← 違ったかもしれない。)で、 原産地は・・・・・」という説明になります。 これとは、異なる説明の仕方もあります。 「犬は、主従関係、 猫は、擬似的母…

と、いうことで、

と、いうことで、 「もう、これからは、 切ってあげない、掻いてあげない、自分のことは、自分でしなさい」と、と引導をわたされてしまいました。 今日の朝日新聞の夕刊に、国士舘大学のことが記事になっていました。 ← これは、エイプリル・フールでは、あ…