2008-01-01から1ヶ月間の記事一覧

レイアウト

さぁーて、 新しい研究室のレイアウトを、どうするのか。 これは、 いまさら、考えることでもなく、 迷うことでもないですね。 私の場合は、もう、決まっているのです。 この部屋に、色々なものをごちゃごちゃと持ち込むことは、したくありません。 本は、置…

新・研究室にも

東京は、都心に緑があります。 そして、その外周は、 明治以降の近代社会に入ってから、 急速にスプロール化した地域が、 都心を取り巻いています。 都市の拡大に、都市計画が追いつかなかったのです。 世田谷は、緑が少ないですね。 でも、羽根木公園・豪徳…

梅ヶ丘・新キャンパス

本日、教務課長の案内で、 梅ヶ丘・新キャンパスの新築建物を、覗いてきました。 まだ、建設会社からの正式な引き渡しの前ですので、ちょっと、遠慮がちな気持ちで「覗いて」きたのです。 十階建ての高層の建物の、その十階に行ってきました。 学生ホールな…

ボス懸念

ギッブの謂う「統制懸念」のことを、 私は、「ボス懸念」と言っております。 誰が、ボスか? どういうボスなんだろうか? であります。 だから、 「この先生は、どんな先生なんだろうか? 厳しい(恐い)先生でなきゃ、いいんだがな」であります。 その、厳…

聞かない

聞かないということの、動機は、何なのでしょうか・・・・・ さて、 そういう人たちの、心の中身は、これは、私には、分かりません。 ただし、“想像”することは、できます。←憶測、かもしれませんが。 聞かないと言うことの、動機の一つは、(それってぇー・…

わかちあい

さて、話題は「新学期の教室には、どんな出来事が起きているのか」です。 私自身もまた、他者懸念であります。 だから、無記名アンケートをして、それを公開してしまいます。 私は、一枚、一枚、丁寧に読み上げていきます。 このやり方は、学生の皆さんから…

これは、大学生とて、

新学期の教室の、この光景は、 大学生とて、同じことでしょう。 いったい、どんな人たちが集まっているんだ・・・でしょう。 いーえ、 私自身が、「さーて、今年は、どんな学生が集まっているんだろうか?」って、 私も、他者懸念。 ですから、無記名アンケ…

小学校の新学期の教室で、

以上が『四つの懸念』説についての説明です。 小学生の頃、毎年四月、新学期の新しい学級に入っていくときの気持ちを思い起せば、 心当たりのあることだろうと思います。(どんな子がいるんだろうか。知っている友達はいるかなぁー) (今度の先生はどんな先…

受容懸念

受容懸念とは、「自分は、みんなからどう思われているのだろうか?」 「私は、この集団に受け容れられているだろうか?」という不安です。 受け容れられてないと思うと、愛情乞食になります。 愛想をふりまいたり、モノを配ったり。 微笑戦術とプレゼント作…

目標懸念

目標懸念とは、「この集団の目標は何だろうか?」ということです。 これが分からないと「この集団の中で、自分は何をなすべきか」がわからなくなります。 自分の役割がわからないから、集団の中にいても、集団の一員という気持ちにはなれません。 「我が心、…

統制懸念

統制懸念とは、「この集団のボスは誰か?」ということです。 この場を取り仕切っているのはいったい誰なのか、誰が一番強いのか、誰の庇護のもとにいれば安全なのか。つまり、 統制者(ボス)が誰かということです。 ボスが誰か分からないと、不安になります…

他者懸念を払拭するには、

他者懸念を払拭するためには、データを集めることです。 観察し打診し質問し、集まった情報を分析することです。そうすれば無用な不安からは解放されます。 私の授業での、第一回目の第一声は、「皆さん、今、どんなお気持ちですか?」でした。 そして、小紙…

他者懸念

新しい集団にたった一人で入っていくときには、さまざまな不安がともないます。 それらの不安や、心配、気懸かりなことを、 言葉のうえで、四つに整理したのが『四つの懸念』説です。 四つの懸念とは、他者懸念、統制懸念、目標懸念、そして受容懸念。 ? 他…

Jack R. Gibb

「四つの懸念」は、 Jack R. Gibb の説です。 これは、『感受性訓練』日本生産性本部 刊 の 第10章 「信頼性形成の風土」に出てきます。 訳者は、柳原光先生です。 これを一枚の紙に図式化したのが、 プレスタイムの『COD』の第一巻、の講義編の、最終頁…

4月の新学期の第一回目の授業の教室で

4月の、 新学期の第一回目の授業の教室では、いったい、どんな出来事がおきていたのか。 そこに集まった人々の心の中には、どんな気持ちが、うごめいていたのか。 これについて「ふりかえり」をしなければ、なりません。 それは、 「四つの懸念」でありまし…

授業のプロセス

だから、プロセス、であります。「この授業の教室には、どのような出来事が起きていたのか」であります。 最終会での授業のまとめは、 私が、何を教えたのかという“コンテンツ”のまとめではなく、 いったい、どんな出来事が起きていたのかについての、総括で…

聞き耳を立てる。

私が、学生の皆さんに提供できる話題で、 学生が、聞き耳を立てる話題が、二つあります。 それは、 「就職試験の面接で、こんなことを言われたら、何て答えればいいんでしょうかねぇー」と言う話題と、「成熟した一人前のオトナって、何なんだろうか?」なん…

社会に出ていけ。

社会学の授業では、私は、しばしば、「就活」について、言及しました。 言わんとしていることは、 「学校から、社会(世間)に出ていけ」であります。 でも、 社会に出ていくことに、及び腰になる学生は、いますね。 でも、これは、一昔前の「モラトリアム」…

社会と言う言葉は、実に、多義的で

社会と言う言葉は、実に、多義的であります。 日本語としては、新しい言葉であります。 英書にあります、societyという言葉の翻訳語として、幕末、明治の初期に、造語されました。 日本語としては、腰の落ち着かない言葉であります。 原義は「近代市民社会」…

社会学の講義・・・・・

一般教養科目の社会学の講義、というのが、私の仕事。 ですから、 この日本社会に起きている出来事に論及すれば、それで、よろしいのでしょう。 でも、 私がやるのは、 この授業の教室のなかに、どんな出来事が起きていたのか、なのです。 この教室には、ど…

「ふりかえり」

「なぞる」と、書いてしまいました。 誤用、ですね。 なぞるって、お習字を・・・・・昔は「手習い」と云いました。 お習字をするとき、半紙の下側に、お手本を置いて、 薄い半紙の下から、透けてみえるお手本を、その通りに、写すのが、「なぞる」でした。 …

最終会の授業は、「まとめ」

学期末の、最後の授業は「まとめ」です。 でも、 一年間、あるいは、半期間、 どんなことを「教えてきたのか」を、おさらいする、という、 そういうまとめでは、ありません。 と、いいますのは、 私の授業においては、 「教える」「教わる」という、そういう…

32年。

鶴川で初めて教壇に立ちし日は、28歳の若さでありき 教鞭をとりて32年間、堆りし答案は、捨てがたく在り

鶴川での最後の授業。

今日は、鶴川での最後の授業。 四限と五限の授業があって、これでオシマイです。 昭和51年の4月からですから、 指折り数えて、一往復。さらに、数えて、 32年間となりました。 長い歳月であったと思います。「火曜日の五限の授業、今、終えて、名残惜しげな…

秋期の授業が終わります。

今日は、月曜四限の秋期の授業の最終回。「黒板に、最終会と、大書せり。 今日は、秋期の最後の授業」 ホントウは、「最終回」と表記するのでしょうけれども、 私は、わざと「最終会」 えぇ、出会いの場を作ってきたんですから。「月曜の四限の授業、今、終…

いつでもできる仕事

しかし、 いつでも出来る仕事、 自分一人でも、他の人に頼ることなく、 なにか、手のあいたときに、 やってしまえる仕事というのが、 これが、なかなかできません。 去年は、昔の古い年賀状の始末を、と思っていたのですが、 結局、書斎の机の脇の棚の上に堆…

始末

この“始末”が、いっこうにはかばかしくありません。 でも、 大きな二つの懸案をはたしました。 二つとも“大仕事”でありました。 自分一人の手にあまる仕事でして、 多くの人たちに相談をもちかけ、知恵を授けていただいて、力添えを得なければ、できない仕事…

懸案事項

去年は、・・・・・去年も、私にとっては、良き年であったと思います。 「平穏無事、何事もなければ、それで良し」、という考え方もありますが、 私にとりましては、懸案事項のいくつかを始末することのできた年でありました。 これは、文字通りの“始末”でし…

sinnenn

正月元日、年頭にあたっての、ふりかえり。 「多くの人たちにささえられて」という このものの言いようが、いかにも、謙虚であります。感謝の心に満ちております。 でも、これは、そういうよそおい、よそゆきの姿勢。 私の「ふりかえりシート」の質問項目に…

“反省”って、

“反省スル”って、 なにやら、しおらしく、殊勝な感じで、 おのれをわきまえ、 おそれいって、謹慎している感じなんですが・・・・・。 でも、その動機には、自己防衛の臭いがあります。 でも 「ふりかえり」ってのは、評価的姿勢は、とりません。 評価という…