2008-08-01から1ヶ月間の記事一覧

ホーソン工場での、聴き取り調査から得られた教訓

ホーソン工場での照明実験が、確たる成果を上げることなく終わった後に、メイヨーは、ホーソン工場に入りました。 そして、 アンケート用紙を抱えて、その工場で働く人たちに聴き取り調査を始めたのですが、 調査マンに語られた被調査者の皆さんのご意見は、…

コンテンツと、プロセスの違いを問われて

コンテンツとプロセスって、どう違うんですか? と、問われますと、 私は、 まずは、・・・・最初は、こう答えております。 演劇の台本をご覧になったことがあるでしょう。 セリフの部分が、コンテンツ。 ト書きの部分が、プロセス。 ですから、ト書きの部分…

コンテンツとプロセス

様々な意見が、グループのなかで、飛び交うでありましょう。 それらのご意見の当否は、問いません。 それらのご意見の内容(まさしく、これが、コンテンツなのですが)の可否や当否、是非は、ふりかえりの対象から、捨象されます。 そのご意見の、出され方・…

分析って「より分けること」です。

ラボ方式による体験学習における“分析”って、 まずは、 選り分けること、でしょう。 何と何を 何を何から、選り分けるのか。 えぇ、それは、 コンテンツと、プロセスを選り分けることでしょう。 そして、 もちろん、 コンテンツよりも、プロセスを強調するの…

概念アテハメ なんですね。

PM理論をあてはめて、 それで、スッキリ、見えてくるんですが、 でも、それは「型ハメ的理解」なんです。 自分の頭の中では、 雑多な物が、スッキリと整理されて、それで、まこと、わかりやすくなるんですが、 でも、生々しい体験が、スッポリと、抜け落ち…

自己チェック・リストを“分析”すれば、

1番から、13番までが、 P機能です。 14番から、17番までが、 M機能です。 そして、 Pでもなく、Mでもないのが、以下に続きます。 無為が、 18〜19番 そして、23〜25番 そして、セリフィッシュ(自分勝手)な行動が、 20〜22番です。 拙著『学生と授業を…

自己チェック・リストを“分析”すれば、

自己チェック・リストは、 具体的な行為を挙げています。 ・・・・・不作為も、含めてね。「不作為もまた、行為だ」って言ったのは、ウェーバーでした。 『理解社会学のカテゴリー』に出てくる言葉ですが、でも、原典の出所にあたることは、無用の事でしょう…

2007年 9月18日の“さとこ”さんからのお尋ね

「どうか その分析 細かな要素に分けた 例を教えて下さい。」 でした。 さて、 あのチェック・リストを使って、“分析”になっているのか、どうか。 えぇ、 なっているんですよ。 どのような場面があったのか、 一つ一つ、仔細に検討することができます。 ・・…

これで、分析? これが、分析?

「グループ実習【バスは待ってくれない】には、 この“チェック・リストで」という私からの回答については、 「・・・・・これが、分析?」 「これで、分析ですか?」 という反問は、あるんだろうと思います。“分析”っていう言葉は、 「細かい要素に分けるこ…

自己チェック・リスト

“さとこ”さん江 グループ実習【バスは待ってくれない】を グループのメンバーとして味わったあとで、 自分の体験を「仔細に検討スル」には、 この「自己チェック・リスト」では、いかがでしょうか? この「ふりかえり」シートは、 拙著『ファシリテーター塩…

牛刀

グループ実習【バスは待ってくれない】の、 ふりかえりの分析の枠組みに、 ウェーバーの行為論・パースンズの行為の構成要素・スメルサーの行為の構成素、では、大鉈すぎます。 牛刀ですね。 さて、 どうしたものか。 私なら、 「自己チェック・リスト」を使…

道具立てとしては、どうなのか?

ウェーバーの行為論から説き起こして、 パースンズに進み、 そして、 スメルサーの行為論に行こうと思っておりました。 常に、私の、 念頭にあったのは、体験学習における“ふりかえり”でした。 これらの、行為類型・行為の構成要素は、 体験学習のふりかえり…

社会と文化とパーソナリティー

「社会と文化とパーソナリティー」という、 この発想が、社会学を学び始めた 私の頭の中に刷り込まれたのです。白紙に、刷り込まれたのです。 ですから、 私の頭の中には、牢固として、この認知の枠組みがあるのです。 社会的経験を通して、文化が内面化され…

社会と文化とパーソナリティー

私が学生時代、 古本屋さんで売っていた社会学の教科書に 『社会学・・・・・社会と文化とパーソナリティー』 というのが、ありました。 主題が「社会学」で、サブタイトルが、社会と文化とパーソナリティー、でした。 前日の記述、 間違っていました。 私が…

ファシリテイター・スキルアップ・セミナー

20日から、 プレスタイム社主宰の「ファシリテーター・スキルアップ・セミナー」です。 20日に、前泊、 そして、21日からの3日間のトレーニング、です。 プレスタイムのホームページのこのセミナーの案内に、 私の紹介が書かれていました。 私のことを「もっ…

「食べる」という行為は、

食べるという「行為」は、 食欲に根ざしたものですが、 その食欲という欲求が、動機づけられて行為を発します。 お腹がすいたということでも動機づけられますし、目の前においしそうなものが(目標)があれば、お腹がすいていなくても、食欲がそそられます。…

パースンズの行為論は、

パースンズの行為論は、 ウェーバーの行為論をふまえています。 パースンズは、 社会的行為を、いくつかの要素に分けて、←これが、分析するということですが、 いくつかの要素に、分析しています。 それらは、 欲求 動機づけ 文化 社会 パーソナリティー で…

原文は、

原文は、 Fachmenschen ohne Geist, Genußmenschen ohne Herz. パースンズは、ウェーバーの『プロ倫』を英訳しました。 ここのところの、パースンズ訳は、 Specialist without spirit, sensualists without heart. です。 「スピリットなき専門家、肉体だけ…

「精神のない専門人、心情のない享楽人」

「精神のない専門人、心情のない享楽人」 これは、『プロ倫』の最後を飾るウェーバーの警告の言葉ですが、 けだし、名訳と言うべきでありましょう。 岩波文庫版の、梶原力・大塚久雄 訳です。 阿部行蔵の訳では「精神のない専門家、愛情のない享楽人」です。

わかちあい

ふりかえりと、わかちあいが、セットになります。「私は、実習中、こんな心境でやっていたんですよ」と、自分の気持ちを言語化して、 そして、それをお互いに伝え合います。←これが、わかちあい。 自分が主観的に思念した意図の公開です。 で、 それが、相手…

新入社員研修のプログラム

プレスタイム社から、連絡 有り。「新入社員研修の、1日コースの教育訓練プログラムをみんなで作っているところです。 “ほうれんそう”にピッタリの実習、ありませんか」と。 あぁ、そうか。 プレスタイム社は、FCCを持っていますが、しかし、FCCは、1…

ふりかえりって、

ラボ方式による体験学習の“ふりかえり”って、 グループ実習をやっていたときに、自分の心の中には、どんな出来事が起きていたのかを、一つ一つ丁寧にたどる作業のこと。 自分の気持ちを言語化して、ふりかえり用紙に記入すること。 そして、“わかちあい”とは…

理念型

そこで、創られたのが、「理念型」でしょう。 理念型って、 曖昧模糊としたものにたいして、 その“型”をあてがうことによって、 くっきりと、輪郭づけることが、できるのです。 その為の道具です。 補助線をひくようなものです。 価値合理的行為、というのが…

ふりかえりって、

体験学習における“ふりかえり”って、 どんな出来事が起きていたのかを 一つ一つ、丁寧にたどる作業のことです。 私の心の中に、 グループのメンバーの心の中に、どのような出来事が起きていたのか。 そして、私と、そのメンバーとのあいだに、 グループの中…

体験学習における“ふりかえり”

あぁ、そうでした。 話の始まりは、 体験学習における“ふりかえり”だったんです。 その“ふりかえり”が、どうしたら、深まるんだろうか。 そして、 その“ふりかえり”を深めて、 いかに、体験学習の循環過程をらせん的にくりかえしていくか、だったんです。 そ…

人間の心なんて、

人間の心なんて、はかりしれぬものです。 ただし、ここで「人間の」と言い切ってしまうことについては、 体験学習の立場からは、躊躇するものがあるんですが、 でも、 まぁ、そういうことなんでしょう。 体験学習は、性急な経験的一般化を避けますから。 あ…

「他人から、」どころか、

他人から、どころか、 自分だって、自分の気持ちが、わからないのではないでしょうか。 漠然としていて、 曖昧模糊で、 判然としない。 そして、とめどもなく、移ろいすぎ、 忘れ去られていくんだろうと思います。

人の心の内側は、

人の心の内側なんて、他人からは、うかがいしれないものでしょう。 詮索し、 忖度し、 想像し、 そして、 解釈を並べ立てることしか、できないのでしょう。 行動主義の立場からは、人間の内側は「ブラック・ボックス」。 だからこそ、 個人の尊厳が、 守られ…

はてさて、どうしたものか。

はてさて、どうしたものか。「怖れ」や「憎しみ」なんてこと、客観的にうかがいしれることなのか。「恐怖心に顔をゆがませて・・・・・」ナンテ、単なる文学的表現にすぎないものなのか。 科学者は、文学的表現には、きっぱりと、訣別すべきなのか。 風に舞…

自然科学的方法と、了解的方法 つづき

はて、 どうしたものか。 この論争は、 どちらか一方にかたがついたということでもなく、 あるいは、相互に融合するということでもなく、 立ち消えとなったようです。 この二つの相容れぬ論点は、 人間の内面的な出来事を、 当事者の主観的な、内面的な出来…