2006-03-01から1ヶ月間の記事一覧

「グループ実習をやってみよう会」の・・・・・・・何と言ったらいいんでしょうか・・・・ つまり、去る23日の「やってみよう会」は、課題解決実習「円形テーブルの8人」でしたが、実習とふりかえりを終えた後に、 グループのメンバーの皆さんに、感想と…

さて、そのアンケートの、続きです。 前掲の「九つの力」は、基礎能力。 続いて、これらの九つの力をふまえての応用能力として、 企画力・構想力・創造力 と 分析力・判断力・洞察力 と 協働力・調整力・時間管理力 との三分類があって、 さて、それらの力を…

新学期が目前です。 今日、こんなアンケートが私のもとにも送られてきました。 九つの力。 調べる力 読む力 聴く力 整理する力 考える力 まとめる力 書く力 話す力 伝える力 さて、あなたの授業では、学生の皆さんに、どの力をつけることを約束できますか? …

蓮如は、念仏の信者たちを、門徒として再組織化していきます。 その教線は、近江の國、今の滋賀県、つまり琵琶湖の畔に住む人たちの間に広がっていきます。畔←ほとり、です。田の傍らに住む人たちです。傍←かたわら、は、片原でしょうか、潟原、でしょうか。…

『国士舘大学教養論集』の第59号が出ました。 拙稿「体験学習のためのグループ実習教材の開発 ⑨」が掲載されております。 今回のは、【野球チームのポジション】と題する教材です。 正解のある課題解決実習で、これは、選手の名前とポジションを、グループ…

封建領主ってのが、何のことか。 封建制って、地方分権です。 領主が、各地に割拠しています。 自分の領土と、領民に対する支配者、でした。 ・・・・・・三権分立ナンテのは、近代国家での政治の制度、です。 当時の、封建領主は、三権を握っていました。 …

さて、本願寺蓮如の話が、中断されていました。 親鸞の墓守りの裔に、蓮如が現れます。 蓮如は、寺に生まれました。・・・・・寺に生まれた、というのが、どうも。 さて、蓮如は、家督を相続すると、←えぇ、これが、家督相続、でした。寺で、家督相続、なん…

昨日の「グループ実習をやってみよう会」は、

課題解決実習【円形テーブルの八人】でした。 このグループ実習教材は、 パートⅠと、 パートⅡと、 そして、【営業所長会議】とがあります。パートⅠは、必要最小限の情報が、断片として、グループのメンバーに配られます。 パートⅡは、課題解決に無用な、余分…

今日は「やってみよう会」

今日のイブニングセッションは「円形テープルの8人」 正解のある課題解決実習です。 プレスタイムのグループ実習には、それまで、円形というのがないので、私が作りました。(半円形、というのは、ありますが。) 自分が作った教材というのは、かたわらで見…

体験学習の効果について

ラボラトリー方式による体験学習の効果について、 そして、 その教育効果にたいするトレイナーの責任について。 5段階に分けて考えるんだと、ある外資系の会社で教育を担当しておられるOMさんが言っておられました。 ①社員研修をやって、どの程度の効用が…

昨日は、卒業式でした。 一年生のころに、あるいは二年生のころに、私の授業に出ていた学生たちと再会することができました。 「塩谷先生の授業は、良かったです。とても役に立ちました。」 どこが、どういうふうにと聞きましたら、皆さん、異口同音に 「就…

親鸞の思想は、その後、忘れられました。 忘れられないうちにと、その言葉を記録したのが『歎異抄』でした。 書き残したのが、誰なのか、それは、分かりません。 その人は、泣きながら、師匠の言葉を記憶をたどりながら書き留めました。 自分のことを師匠だ…

さて、私の手元には、原典がないのですが、 おぼつかない記憶を呼び戻せば・・・・・・・ 「主上臣下、ともに法に背き、ナントカに違い・・・・」 だったと思います。 この「主上臣下」のところをどう読むのかなんです。 ここのところを「主上ノ臣下、ともに…

親鸞は、その晩年においても、怒りをぶちまけています。 『教行信証』が、この人の主著でありましょう。 これは、実に、浩瀚な、といいますか、 つまり、引用ばっかりの書物です。 私は、読み始めたものの、最期まで読み通す根気が続きませんでした。 この本…

親鸞は、怒る人でした。 激情の人でした。 自分の怒りをぶちまける人でした。 『歎異抄』の十三 「当時は、御世者ぶりして、善からんばかり念仏申すべきように、あるいは、道場にはりぶみをして、なむなむのことをしたらん者をば、道場に入るべからずなんど…

道元が、何にたいして怒ったのかというと、 弟子の一人が、時の権力者から、実に色よい返事を取り付けてくるのです。 その弟子は、得意満面でした。それが、自分の手柄だとも思えたのです。 これで、自分たちの教団が優遇されると。 道元は、その弟子を追放…

『正法眼蔵随問記』は、道元の「語録」とされていますが、問答の記録でありましょう。 道元は「どんどん質問しなさい」と言っていますから、お弟子さんたちが質問をして、その回答を懐奘が書き留めたものでしょう。 でも、懐奘は、師匠の回答のみを記録して…

拙著『ファシリテーター塩谷の体験学習・講義編』で、私は、一斉講義方式と体験学習とを図表化して対比させました。 これに、さらに、1項目、加えなければなりません。 一斉講義−−−教師は、教壇の上で、黒板を背にして立つ。 体験学習−−−ファシリテーターは…

・・・・・・私が、大学院の修士のときだったかなぁー、ドクターのときだったかなぁ。 森岡清美先生の授業で、あれは、九学会連合による能登の調査の、調査報告書の「宗教編」の抜き刷りが配られて、 そこに、「真宗寺院における説法」と題する写真が、あた…

「海川に網をひき、釣りをして、世に渡る者も、野山に獣を狩り、鳥をとりて、命をつなぐともがらも、商ひをし、田畠を作りて過ぐる人も、ただ同じことなりと。」とこそ、聖人は仰せ候ひしに、 ←この文章にリズムがあります。韻律があります。 ここの部分を声…

本願寺蓮如は、平座にあって、 つまり、信者さんたちと同じ畳の上で・・・・・畳じゃなく、板の間だったかもしれません。板の間に筵(むしろ)がひいてあったかもしれませんが、 信者さんたちをあいてに、こう言ったそうです。 「もの言え、もの言え。もの言…

阿弥陀如来より賜りたる信仰、でした。 同朋は、皆それぞれに、「如来から賜りたる」、でした。 ですから、師匠から弟子へと相承され、その信仰の正統性について師匠から認可を受ける、というものではありませんでした。 誰かの導きがあって、その信仰に入る…

親鸞は、「本当にお浄土なんてあるんですか?」と問いつめられて 「知らん」と、開き直っています。 そして、 「私は、ただ信じるだけだ」と言い返しています。 信じることのできる根拠は、・・・・・・ それについては、自分の師匠・法然の教えを引き合いに…

「親鸞は、弟子一人持たず候」であったと思います。 その親鸞の言葉を、親鸞の身近にいたという人が、記録しました。 耳底に残る言葉をそのままに記録しますと宣言しての記録ですから、そう言ったということなのでしょう。 「我は、弟子一人持たず」 ではな…

道元は、世俗のしがらみが、僧堂に入ってくるのをひどく嫌いました。 その道元と、弟子との関係は、 「親しく、教えを聞くを得るなり」という言葉が、『正法眼蔵随聞記』にあります。 そういう師弟関係だったのでしょう。 つまり「親しく」とは、「直接に」…

親鸞は、出家しました。 道元も、出家しました。 出家したさきは、比叡山でした。 そこは、しかし、世俗の社会でした。 身分社会でした。 世俗の身分が、僧階にそのまま反映していました。 親鸞は、下級の公卿の子弟ということになっています。 道元は、貴種…

いずれも、身分社会に生きた人たちでした。 法治国家ならば、裁判所に頼ります。法が自分を守ってくれます。 貨幣経済が浸透していれば、頼りになるのは、お金です。銀行を信頼します。 裁判所も、銀行も頼りにならなければ、 頼れるのは、血の縁、でしょう…

3月4日の集いは、

盛会、でした。 参加者、三十余名。 それはさておき、 近江聖人とは、中江藤樹のことです。 真宗の坊さんでは、ありません。 儒学者でした。 近江の人でした。農民の尊崇を得て、「近江聖人」と尊称されたのです。 内村鑑三は『代表的日本人』に、その一人と…

今日は、ひな祭り。 お内裏様とお姫様が一番高い段に飾られ、 それに仕える3人の官女がその下に、 さらに、その下に五人囃子、です。 身分社会、ですね。 江戸時代は、士農工商という身分社会でした。 「商」が、卑しめられていました。 ところが、近江の真…

西ヨーロツパの資本主義社会の成立には、プロテスタントの禁欲的な職業倫理があずかった、というのがウェーバーの歴史解釈でした。 では、日本では、どうだったのでしょうか。 日本にも資本主義社会が成立しました。 それでは、日本にも、西欧のプロテスタン…