2008-10-01から1ヶ月間の記事一覧

『葉隠』武士道。

『葉隠』は、 あの時代に、佐賀藩に使えた武士の、武家奉公の心得を説いたものでしょう。 心得というか、むしろ、処世訓というか。 この本での語り手は、 「やられたら、すぐにやり返せ」なんです。 この本には、酒の席での行き違いから刃傷沙汰になった喧嘩…

ののしり声

“伊集院さん”の心の中に起きた出来事は、 「不愉快」の一語に尽きると思います。 嫌ーな気持ちになったろうなぁー。 相手にされなかったことの腹いせに、あなたに八つ当たりしたのです。 そして、 あなたは、ほとほと、当惑されたことと思います。 反撃しよ…

ストロークを求めて。

あの方が、求めていたのは、私からのストロークでしょう。 でも、 得られませんでした。 ストローク飢餓状態です。 自分が無視されたのです。自分が声高に自己の存在を訴えているにもかかわらず、自分の存在が否定されたのですから。 イラダチが、つのったこ…

他人の言説の引用

この体験学習ブログのコメント欄に、 長々と、他人の言説を再三にわたって、書き込んだかたがおられました。 コピー・ペーストでなければ、大変な時間と労役を要したことでありましょう。 しかし、それに、本人の「肉声」は、添えられては、いませんでした。…

モノローグ?

ただ、一方的に言い放つ、という場合もあれば、 返信を求めている場合も、あります。(一方通行ではなく、双方通行を、求めている場合もあります。) この私宛に、名指しの書き込みが有れば、私としては、 (こりゃ、返事を書かなくちゃいかんかな)と思って…

伝わらない。

この【コミュニケーション実習】では、 ・・・・・・・伝わらないというもどかしさをたっぷりと味わうことができます。 伝わらないどころか、 誤解されて伝わります。“○一郎さん”は、 ご自分の書き込みに対する反応に、戸惑われたと思います。 戸惑いナンテ…

【一方通行・双方通行のコミュニケーション実習】

【一方通行・双方通行のコミュニケーション実習】は、 『COD』の第一巻に収録されています。 そして、詳細な使用マニュアルがついています。 これは、 「一方通行のコミュニケーションよりも、双方のコミュニケーション回路が必要」ということを学ぶんで…

【現場適応ショッート・プログラム】のネライ

【現場適応ショート・プログラム】は、 第1会合から、第6会合、までの、全6回です。 そして、 第1〜第2のネライは、コミュニケーションの力を身につけよう。 第3〜第4のネライは、チームワーク。 第5〜第6のネライは、リーダーシップ。 去る9日の第1会合では…

【現場適応ショッート・プログラム】つづき

という思いがあればこそ、 去る9日の体験学習セミナーにおいては、 私は、 次のように、模造紙に大書しなければなりませんでした。【現場適応ショート・プログラム】は、「職場の皆さんで、ラボ方式による体験学習をやってみて、 グループ体験での一人一人の…

【現場適応ショッート・プログラム】

【現場適応ショート・プログラム】の 第一回会合が、 去る、10月9日に、実施されました。 この【プログラム】の意図するところは、「職場づくり」←これには、私の思い入れが、あります。 (株)プレスタイムのスタートは、『COD』の刊行からでした。 そして…

そのフィードバックの場面は、

その体験学習におけるフィードバックの場面が、 グループの外側からのぞき見る人からは、 (外側というのは、それまでのグループのプロセスを共有してこなかった人から見れば、ということです。) 率直な、意見の応酬と見えましょう。 しかし、そこには、 グ…

体験学習における“フィードバック”は、

体験学習におけるフィードバックは、 グループの成長と、セットになっています。“グループの成長”という言い方をしますが、 それは、 グループメンバーの相互の信頼関係の醸成なのです。 ですから、 未成熟なグループにおいては、フィードバックは、 できま…

フィードバックって、

「フィードバックって、お互いの率直な意見の交換だよ」 っていう意味で解する人は、おられます。 そして、それが、良いことなんだと。 しかし、それは、 体験学習におけるフィードバックとは、 「似て非なるもの」です。 まるで、 異なります。 ついでにが…

体験学習における“フィードバック”とは。

“フィードバック”という言葉は、様々な意味で使われております。 私も、複数の意味で、使っております。 ただし、 「ラボ方式による体験学習におけるフィードバック」 ということになりますと、 これには、“独特の意味”をこめて使われていると思います。 体…

大丈夫

国士舘の舘歌にうたわれている 「大丈夫」の出典は、『孟子』です。 さて、『孟子』ということになりますと、 中国の明代の書物『五雑俎』に、『孟子』を積み荷のなかに入れて、船が日本に向けて船出すると、その船は、転覆するぞ、と書かれているんだそうで…

ますらお

国士舘の舘歌に、うたわれている 大丈夫は、意気盛んですが、 万葉集にうたわれている 益荒男は、めそめそしております。 大丈夫は、弱音なんて吐きませんが、 益荒男は、ため息をつき、涙をこぼします。 国学の大成者・本居宣長は、 漢意(からごごろ)を排…

文化人類学者に

精神分析学派の人に聞けば、 この自虐性は、「マゾヒズム」って、答えるんだろうけれども、 でも、 文化人類学者に尋ねたほうが、いいかもしれぬ。 『花咲爺』のことも。 アメリカは、先の大戦においては、 文化人類学者まで動員して日本人研究・日本文化研…

・・・・・・・・不可解!

このJapanese YAKUZAの行動は、 まさに、不可解でありましょう。 薄気味悪く思うでありましょう。 ナンセンス!!! なんです。 エキセントリック なんです。 日本人が、この健さんの行動に喝采スルなんて、考えられません。 この奇妙な自虐的態度については…

堪忍自重

あぁ、 「かんにんじちょう」と平仮名入力して、 私のパソコンは、 堪忍自重と、漢字変換してくれました。 なにしろ、 私のパソコンには、仏教用語辞典が入力してありますので、 「あのくたらさんみゃくさんぼだい」ナンテのも、 あっという間に 「阿耨多羅…

やられたら、やり返す

やられたら、やりかえす。 いえ、 それどころか、 相手を挑発してでも、拳銃を先に抜かせます。 これが、 アメリカ人の戦いの論理でしょう。 このたびは、「相手が大量の生物化学兵器を作っているから」というのが、開戦の理由となりました。 やられたらやり…

勝利者としてではなく、

このストーリーの結末は、 健さんは、 勝利者としてではなく、犠牲者として描かれます。 ここで、日本人は、納得してしまうんですが、 この映画をアメリカ人がみたら、????・・・・・??? でしょう。・・・・・・・・アメリカ人は、と一括りには、でき…

責任を一身に背負って。

自分だけが、責任を一身に背負って、であります。「シェーン」のアラン・ラッドは、 あの少年に言います。 「人を殺めた人はね、ここには、いられないんだよ。」 と言って、 その土地を去っていきます。「誇り高き男」は、 次の保安官選挙でも、再任確実であ…

そして、そのあとは、

そして、そのあとは、 バッサ、バッサと。 つまり、予定通り。 もちろん、この場面でも、健さん、 言葉というものを発しません。 そして、 ことが、終わりまして、 健さんは、携帯電話じゃなくて、 旧型の電話機のところまで血刀、ひっさげて行き、 そして、…

遺恨を

健さんは、既に決意を固めていました。 この企画は、だれにも、洩らすまいと。 もしも、打ち明けたら、 健さんの舎弟分が、我れも我れもと。 しかし、 健さん、その責任を他に及ぼすまいと。 計画は、素知らぬ顔で、準備されます。 そして、 斎戒沐浴し、か…

メンタリティー つづき

執拗な嫌がらせは、続いていました。 先代の親分は、すでに亡くなっていて、 その跡目は、 親分の未亡人が継いでいました。 しかし、 元・極妻のこの女将さんは、組の若い衆にたいして、 自重するように、きつく言い渡してありました。「この組は、堅気にな…

東映やくざ映画のメンタリティー

私が学生時代のころ、 東映やくざ映画が、大流行(はやり)でした。 今から、四十年も前のことです。 でも、当時の私には、映画館に行って、それらを見る余裕は、時間的にも金銭的にもありませんでした。 後年、 テレビで、放映されるときに、その機会を得ま…

『誇り高き男』

これまた、米国製の西部劇映画。 あれは、ゲイリー・クーパーでしたかねぇー。 保安官(←これが、誇り高き男)が、 ならず者(←つまり、悪役。 西部劇って、善玉・悪玉の二価値論ですから。)のいる、酒場へとさっそうと乗り込みます。 そして、 酒場のカウ…

『シェーン』

「シェーン」は、西部劇映画の名作だといわれております。 私も、見たことがあるなぁー。 あれは、 畑作農民と、 草原に草を求めて、牛を放牧する牧畜民との争いであったと思います。 草原に囲いを作って、畑地を拡大していく畑作農民は、 草原に牛を放牧す…

理不尽な仕打ちを受けて、

正直爺さんは、 欲張り爺さんから、実に理不尽な仕打ちを受けたのですが、 しかし、反撃しないんです。 当時の言葉でしたら、「仕返し」ってのを、やらないんです。 それでも、 つぎつぎと、思わぬ福運が続くんです。 そして、欲深か爺さんは、 それでも、罰…

不可解な話。

めでたし、めでした。 で、 終わる話ですが、 しかし、 この話の結末は、 結末どころか、途中から、 この話は、外国人には、 なんとも不可思議な話であろうと思います。 これは、 信じがたいような“奇跡”が起きたからでは、ありません。 正直爺さんの対応が…