負け惜しみ
グループ体験学習は、“気づき”の学習。
“気づき”の反対語は、自己正当化。
いいわけ・負け惜しみが、自己正当化。
ストレス耐性のない人が、いいわけをするのでしょう。
この年賀状には、
○○さんからのお返事を頂戴しました。
そして、曰く
「あなたのゴールは、何ですか?」って。
兎は、亀に提案されたゴールに、乗りました。
でも、
私が、私に提案したゴールって、何だったんだろうか。
そこのところを明確にしなくっちゃ。
年頭の所感から始めて、
ハナシが長くなってしまいました。
負けてもいいじゃないか
負けてもいいじゃないか。
なにも、亀と競い合うようなことではない。
自分もまた、ゴールに達したんだから ←と、いうことなんです。
今年の年頭に、知友の皆さんに書き送った年賀状の文面は、
・・・・・・だから、まぁ、遅れたっていいから、時々昼寝を楽しみながら、ゴールに行きましょう、と、いうことだったんだけれども・・・・・
でも、これって、「あの葡萄は酸っぱい」とつぶやいて立ち去ったという狐の負け惜しみ(いいわけ)と、同じですねぇ。
兎もゴールに、
兎は、負けたのです。
兎は、亀に遅れをとったのです。
一敗地に、まみれたのです。
でも、なんで、負けたって、わかったんでしょうか。
この競走には、レフリーがいたみたいです。狐が審判だったようです。
でも、兎がゴールの山の麓に着いた時、
亀が先に着いていたのです。
と、いうことは、
兎も、ゴールに着いたということでしょう。
戦いの条件を
走る、ということだけで競走したら、
これは、カメの負けです。カメは、そもそも走れませんから。
でも、
弱者は、弱者を自覚すればこそ、戦いの条件を考え抜きます。
距離を勘案しました。ゴールを指定しました。
ゴールを山頂とせず、麓にしました。水平のコースでした。坂道は、カメには苦手なのでしょう。
という条件をウサギは、計算には、いれませんでした。
カメなんぞ、己れの敵ではないと、あなどっていたのです。
そして、
カメは、自分の都合の良い戦場にと、ウサギを誘ったのです。